このシリーズも第四弾(笑)
なんと先日、この話を愛読しているという方に会ったので、時間が空いてしまったのですが4を。
この話は、私の中でなかなか乗り越えられずに書けなかったのだけれど、もういいかな、と思って。
息子が小学校一年生の時、入学間もない4月半ばから筆箱にある鉛筆の芯がいつも折れている、
と言い始めました。
まだ不器用な小学一年生、出し入れの時などに誤って折ってしまっているのだろう、そうでなくてもなんということもないいたずらだろうと軽く考えていました。
だけれど、この「いたずら」はこの4月から始まり結局一年間続くことになります。

鉛筆の芯が折れているのは一本のことも、二本のことも、筆箱のすべての鉛筆の芯が折れていて書ける鉛筆が無くなってしまうということもありました。
些細ないたずらだと思っていたけれども、これは、いやがらせ、や、いじめ、と呼ばれる類のものなのではないか。さすがに心配になり、担任と連絡をとったりとこちらもさまざま考え悩みました。
もちろん自作自演の可能性も考えた。
私は、なんといっても息子の心が傷ついてしまうのではないか、学校が嫌になってしまうのではないか、人間不信になってしまうのではないか。
そんな風におおげさかもしれないけれど、思い悩むこともありました。
その時の息子を注意深く観察したけれども、彼はさほど「気にしていない」ようでした。(このことは、そう見えているだけかもしれないと注意深く観察しました)
『鉛筆がおられていると、授業を受けるときに困るし、先生に言っていちいち鉛筆を削りなおさなければならないのが面倒なので、できたら折らないでほしいなと思っている。』
と、そう彼は言いました。
鉛筆がどんどん短くなってしまうのも困っている、と言いました。
だけれど、自分にそう言った悪意を向けられていることに意に介している雰囲気はなく、
幸いお友達もたくさんできて、その新しい刺激に夢中のようでした。
もちろん、私は担任にも(担任の先生はほとんど見当違いの対応だったので)校長先生にもご相談して、
そのことで、息子は夏休みの前には校長先生や副校長先生にも目をかけていただくことになり、
学年主任のほかの先生やたくさんの学校の先生方とあっという間に仲良くなって
彼はそのことでさらに学校が楽しくなったようでした。
人の悪意を、自分に入れないこと。
何か起こった時に、「反応」ではなく、「対応」で応じること。
そのことで、いたずらをとめることはできなかったけれど、
鉛筆をいつも誰かに折られていじめられている子、
という世界ではなく
校長室にも気軽に訪ねたりもできる、副校長先生に毎日大きな声で名前を呼んで挨拶してもらえる、
学校をエンジョイしている子、
という世界を彼自身が選び取っているようにみえて、
どこにフォーカスするか、そして、やはり自分に不要なものを内側に入れないこと、
そして、自分よりも他者を大きくしないこと。
嫌な物事を自分の内側よりも上に置かないこと。
その実践のさまをみて、
ポジティブに生きるということは、ただ馬鹿みたいに明るいことではないのだ、というあたりまえのことを私は学べたかな。と思っています。
絶対大丈夫と言ってあげられる大人でありたいとそんな風にも思ったのでした。
まあ一年間でものすごくたくさんの鉛筆が無駄になってしまったし、
さすがに学年の終わりには、来年はこれやっている子とはクラスが分かれるといいな…
と息子も弱音を吐いていたので、本当はもっと解決してほしかったけれど、そうやって他者がなにをしてくれなくても、息子の世界が守られたことを誇りに思うばかり。

