美しいものや美しいひとや美しいことばや美しいことが好き。
空の色や雲の形や風の匂いや山の影や海の広さや草や花や虫や、そんな季節のすべて。
そして、息づく肉体には、無条件に美しさが宿っている。
赤ちゃんの生まれたてのほかほかしたむき出しの命の美しさには、敵わないけれど
動物たちの、そして人々の肉体はほんとうにそれぞれ美しい。
私は生きていく、を考えるとき「美しいかどうか」を大切に思っている。
美しい選択か、美しい姿勢で取り組めているのか、美しい歩みか。
それはもちろん、身体にも反映される。
より美しく、ということではない。
私が目指していきたいのは、
損なわれないということ。
そして、本来であること。
生きている肉体のその美しいこと、を本来のまま美しく、と願うのです。
自分にしても、出会った人たちにしても。
『美とは、正しさ、そして正しさというのはバランスがとれていること』、
というのは沖ヨガの沖正弘先生の言葉ですが、
なんだかとても普通のことのようでいて忘れてしまいがちなこと。
美醜をとやかくいうのは、はばかられるところがあるけれど、
人生の指標に美しいということは、必要だと思う。
そこには、損なわれないように、という優しさが、そして愛があるから。
美しさを灯として、生きていくなんてちょっと素敵な生き方なのじゃないかしら?
と思ったりも。
まあ、なかなか現実そうはいかないけれど。
そして、汚水に浮かぶ油膜に美をみたりもする不思議も同時に愛してもいるのです。
と、ここまで書いたのが12年前。

ただ、12年経ってもこのことは変わっていない。
ただあるだけで美しい、命ある自分を本来の奇跡的な営みを損なわないということ。それこそが、私がヨガを続ける理由の大きな一つ。
2022年10月12日
